●「成人の日」の昨日、我が家の末っ子も成人式に参加した。
自宅前で記念写真を撮ったあと、親として訓告を与えた。
「いいか、どこかの街のように、集団ではしゃいで騒ぎをおこすんじゃないぞ」
●すると子供は「大丈夫。昔通っていた小学校の体育館で式があるし、集まるのもその頃の同級生ばかりだから」
え、そうなの。
聞いてみたら、名古屋市では学区単位に分かれて式を行うらしい。
●いずれにしろ、晴れて全員が成人したのを祝って夜は「モエ・エ・シャンドン」で乾杯した。
乾杯に先立ってふたたび訓告を与えた。
「いいか、これで武沢家の三人の子供全員が大人になったわけで、親の責任はここまでだ。あとは自分たちで自由にやってゆけ。いつでも相談には乗る。これで武沢家は解散する、とは言わないがそんなつもりでよろしく」
●大人になった以上は、二十歳になった翌週にアメリカに渡った姉のように、二人の弟たちにも自立してもらわねばならない。
もともとシャンパンやコーラの炭酸が苦手な妻は、あわせる料理にも苦労したようで、サラダと焼き魚と揚げ出し豆腐。どうみてもシャンパンに会いそうもない料理だが、おいしく頂戴した。
●乾杯して一口つけるや否や、23歳の長男がグラスを母に渡しながら、「酸っぱ!」と早くもギブアップした。酒が苦手なのだ。
次男のほうは兄より強そうな雰囲気だが、「たしかにこれは酸っぱい。
いつか、これがおいしいと思えるようになるのかな?」と聞いてきた。
●「モエ・エ・シャンドン」が分からないようでは成人とはいっても味覚はまだ子供だな、と私。
「どうすれば美味いと思えるようになるの?」と怪訝な顔をする次男。
●味覚は成長する。よく「舌が肥える」と言うが、実際には舌が発達するのではなく、舌の感覚を感じとる脳の方が発達するのだろう。
いままで不味かったものがうまくなり、美味かったものが不味くなるということがよく起こる。
●そういえば私も46歳までは酒が苦手だった。
缶ビールより缶コーヒーの方が圧倒的に好きだった。友人たちと山登りをしたときも、山頂で全員が缶ビールで乾杯しているのに、私ひとりだけアイスコーヒーを注文したのを覚えている。
●「なんでビールが美味いの?」と周囲に語っていたのはわずか12年前の私なのである。
脳が発達すると食べ物や飲み物の好みが変わる。
変わるのは食べ物ばかりでない。女性(男性)の好みも変わるようだし、興味関心も仏教や古典芸能(歌舞伎や能、落語など)などに関心をもつのも年を重ねてからのことが多い。
●問題が起きたとき、以前ならずいぶん深刻に考えていたことでも今ではそうならずに済むようになった。
出来事は変わらなくとも、脳のセンサーが変われば受け止め方が激変するものだ。
●そんなことを考えていたら、モエ・エ・シャンドンを飲むペースが鈍っていた。ふとボトルの残量をみたら、あっと言う間に三分の一になっていた。
「おいおい」と私。
妻と子供の顔色をみたら、すでに真っ赤だった。